不安定な時に下手を打たないためのメモ
ジョン・グレイ博士の本を読んでいる。
かつてよりは呪いの解除が進み、かなり性格的に安定してきたものの、生育歴や嗜癖が社会的にマイノリティすぎて歪みきった価値観や認知の呪いはまだ残っているのをひしひしと感じる。ただし、感じられるようになったということは、改善してきているということだ。
悪い魔女や魔法使いにかけられたわけでもない現代の呪いはどんどん多様化してどんどん強くなっていくけれど、パートナーシップの本からより効果的に呪いの解き方を学べるとは思わなかった。
・受け入れられない望みは自分が嫌われたり疎まれたりしているわけではなく、やり方が悪い。
・どんなに大切な人間であっても突然湧き上がる悪い感情は、実はその人のせいではなく、90%の確率で自分が過去に傷ついて抑圧した感情が蘇っただけのもの。今のその人にぶつけるのはお門違い。
・落ち着きたいときは手紙を書く。現在に集中すれば冷静な愛着の評価ができる。
・現在の問題と、過去の抑圧を仕分けることで自分も相手も幸せにできる。過去の抑圧を「女はみんな」「男というものは」と画一化しない。ただ過去に傷ついているだけの自分の問題を、相手のせいにしない。
・もし相手があからさまに態度が悪くなっても、90%の確率で心の傷が開いただけで自分のせいではない。
・もし相手のお願いを断ったりしても嫌われたりはしない。
・もし本来の自分が嫌いでも、それを見て相手が嫌うとは限らない。
・カチンときたとしても見なかったことにする。しばらく放置するとだいたい元に戻る。
・男性のことを心配するのは余計なことどころか、プライドをずたずたにするほど嫌われてしまう行為なので勝手に世話を焼かない。
・女性は無視されたと思うと心のそこから相手を憎むので、気にかけている素振りは欠かしてはならない。
んーまだ読んでいる最中だけど、パートナーシップだけではない。性差というよりコミュニケーションの価値観が根本的に違うことがわかる。理解しておくと揉めないこともよくわかる。
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やはり最終的には、過去の抑圧というのは根本的には生育歴の歪みによって起きた愛着障害で説明できるようだ。これはジョン・グレイ博士の範囲から外れはしないがもっと詳しい本がある。
・自分のジェンダーイメージと、恋愛対象となるジェンダーイメージには、自分の父母を見ていて受けた心の傷が投影される。
・母親が過保護、過干渉、父親の悪口を言う、父親に苦しめられていると子供にいう、父親に依存している、この代償を子供に求める、精神障害、人格障害、依存体質という家庭では、女性に対する価値観が歪む。自分が女性の場合、投影を拒むが同じようになったり、その性質の女性を憎む。相手が女性の場合、女性不信になり孤独になる。
・父親が無関心、仕事人間、家庭を低い価値とみなす、家庭を面倒ごとだとか邪魔だと言う、依存症、暴力をふるう、人格障害、精神障害、金や食事を独占する、という家庭では、男性に対する価値観が歪む。自分が男性の場合、価値観や嗜好に投影される。相手が男性の場合、回避しようとしてもパートナーとして選んでしまう。
・自分が引き起こしている問題を理解しない間、世間的な価値観が自分の自由を侵害したり、他人が自分を束縛することに耐えられない。または、自分が悪いから真剣に愛されないのだと思い込み他人に執着する。これが恋愛依存症。すべて他人が自分を損なうと感じているが、実際には自分自身を攻撃しているだけ。本人が被害者意識を捨てるために努力しなければ、他人ができることはない。
・恐れや抑圧に気づき受け入れることが第一歩。
・自分が何をしても見捨てずに見守ってくれる、安全基地を手に入れることで回復する。
これに気づいた人すごいなあ。主症状からするとまったく逆の概念を恐れていることに気づくと納得がいく。
つまり、人が嫌いな人は本当は好きで、嫌われたくないから嫌いになろうとする。
人が好きな人は本当は嫌いで、嫌いなことを認められないから好きでいようとする。
これを本人が理解していないから余計訳わからないことになる。
狼は生きろ、豚は死ね
というのが座右の銘になりつつあるので最近はいつも満身創痍。
でも倦んで油断して見送って失って悲しんで苦しんで後悔してのたうちまわるよりマシ。そんな激しい感情も邪魔だと言って無かったことにするより全然マシ。燃やし尽くして死なないでどうする。
肩を痛めた
左肩は脱臼もしてるし慢性的に痛みがひどいので、騙し騙し生きてきたところがあって、コロナで整体に行かずサボってたら限界を迎えた。
1ヶ月ほど痛みをアルニカサルブ塗って誤魔化してきたが、寝返り打てない、腕が上げられない、1日の中で痛い部位が変化する、という劇症化を迎えた挙句、とうとう痛みで全く寝られなかったので病院に行った。
レントゲン撮って見たら肩の骨と腕の骨の連結部が真っ白に写っていた。リウマチかと思ったが、尿酸のトゲで炎症してるとのこと。ここでジャリジャリが発生して白く写るほど炎症が出るのは稀な体質によるものらしい。そんな体質いらない。
ブロック注射されて、脇を広げる類の動作禁止。そのかわり両手を組んで前方向に腕を持ち上げる運動をしないといけない。既に左肩の筋肉が衰弱して見たらわかるくらい減っているらしく、リハビリに通わないといけない。思ったより深刻らしいがわたしの人生では無意味な故障はよくあること。ああめんどくさい。
でも寝られるようになってサイコー。筋肉衰退したせいか体重が減ると思いきや増える。代謝が悪いからですね。痩せなければ…。
お腹が超空いてるけど寝ます。
信頼の損失を数値化している
自分にとって大切な人間かどうかということは、大抵自分の中の信頼を測る天秤にかけて評価している。
会ってものの数分でマイナス天元突破する奴もいるし、ニュートラルのまま何年か過ぎて性根の腐敗臭に気付き絶対零度になる奴もいる。
絶対値、つまりプラスをある日まで据えていたとしても、刹那にマイナスに反転して、殺したい程ではないけど早く死ねと思うようになってしまった相手もいる。
後悔はしないが、そうやって損なわれた自分のなにかは二度と取り戻せない気がして、奇跡は起きない。
あのときもそうした。いままた起こりそうな気がしている。
スイッチは大体わかっていて、わたしを損ねようとしている態度を取ったとき。ありがとうやごめんなさいという最低限の尊重も省略していいと思われていることがわかったとき。馬鹿にされているとき。
表現が誤っていることがわかれば修復ができるけど、それすら自己内省できないくらい馬鹿愚かなのか、その程度の勇気もないのかということに気付いたらもうダメらしい。
それが自分の癖だとかそうやって生きてきたからできないというのは論理としては理解しても、ここで必死になって撤回もできないほどどうでもいい人間なのかと、その程度の信頼なのかとまた数値化して計算してしまう。
信頼は減るだけでなくマイナスになりうるからこそ、大切な人の信頼を損なわないように大切にしないといけないと思っている。死に物狂いで回復しなければならない相手以外は、再計算しない。
見返りが欲しいのかと的外れなことを言う奴もいるが、大切な人間を尊重してこそ、関係に価値があるものだと思っている。
わたしが大切にしていても、大切にされていない。これは信頼が減っていくものだ。減らしたくはないが、勝手に減っていくものだ。自分の思い通りに制御できずに苦しんでいる。減っていくのは止められない。